2012年1月27日 (金)

ボリビアからの神父

Kurahashi3ボリビアからのお客さん、倉橋神父。
駅で迎えると第一声 「お招きありがとうございます。」

別府時代の‘糧の会’を通しての妻の友人、30年数年前にボリビアへ渡った。
ニューヨーク、サンパウロ経由で30時間、まぎれもなく地球の裏側である。
前回来られたのが2000年3月、3度目の来訪である。
忙しい身でありながら活動的、今回も東京から新幹線で日帰りの旅だった。
加山雄三と同年代、元気そのものである。

ボリビアは国土面積が日本の3倍。
原住民は疫病やスペインの侵略から逃れるために富士山並みの高地へ住むようになった。
もちろん鉄道どころか、まともな舗装道も無い。

警察官で月給2万円程度、7人家族だと1日一人100円での生活。
大家族なので子供たちは奉公に行くか、観光客相手に大道芸をして物乞いするか。
15歳くらいになって夜間教育を受け始める。
神父は学校教育をおこなう他、食料米の配布、放棄乳児の埋葬、子供たちへの給食提供など奉仕をしている。
子供たちの写真を見せてもらった。
悲惨な生活にも拘わらず、何故か顔に凛々しさがあり、明るかった。
真今を生きる、今日を楽しむ。

炭焼の熊ちゃんが『戦争拒否7人の日本人』という本を持って訪ねて来た。
蔵書を炭焼作業の合間に読み直したら面白かったと。
神父は太平洋戦争の裏事情について興味を持っていたので話が盛り上がった。
勝てない戦争に何故挑んだか。
今もって日本の外交のトラウマになっているのでは。

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2012年1月21日 (土)

季節の折り返し

Ryuujin大寒
季節の折り返しである。(写真は龍神)
立春も間近い。
しかし、これから半月くらいが一番寒い時期である。

『春は名のみの 風の寒さよ
  谷の鶯 歌は思えど
   時にあらずと 声も立てず
    時にあらずと 声も立てず』(早春賦)


Akiyama2ふるさと道場が美術館に変身?

日本画家秋山女史の絵画が持ち込まれた。
F50号の作品が約10点、‘すきやねんネパール’シリーズである。
ネパールの母、ネパールの父、牛飼いなどネパールの風俗を描いた大作である。
老い先を和尚に託した。


Akiyama1廻りの木彫地蔵とも適当に調和している。
地元新聞社も取材に来てたので、清川の梅祭りなどに合わせこの春は見物人で賑わうことだろう。
今日は新宮の鍼灸院による月1回の鍼の日、お年寄りが三々五々上ってくる。
思わぬお年玉に目を見張ることになる。

秋山女史はお香の好きなお孫さんなど3人で宿泊してくれたが、帰りしなに 「前に来た時(10年昔?)肝臓が悪いとお聞きしてました。今は体調が良くなったり悪くなったりだそうで。お体をお大事に。」 と心配してくれた。
何の行き違いかいつの間にか病人にさせられてしまったが、偽りのない健康人である。


もうすぐ梅の花の季節、白いベールと優しい香りが里を包む。
☆みなべ梅林は1月28日開園 「南部郷、梅の花一目百万本、香り十里」
☆岩代大梅林は1月28日開園 「岩代の海岸地帯の丘の上、見渡す限り梅の花大パノラマ」
☆田辺梅林は2月3日開園 「田辺奥地、石神の山一面に梅の花」
☆清川の梅祭りは2月26日(日)清川球場(過年はふるさと道場でした)

いずれも花の見ごろは2月中旬以降か。

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2012年1月15日 (日)

正月3題

Kankuro『喪中でも 年賀欠状 寒中見舞い
      消息気にする 友に感謝』
母が亡くなったのが昨秋だったので、喪中葉書で年賀状を失礼した。
しかし、出せなかった方からも多数の年賀状を戴き、寒中見舞いを出した。
喪中欠礼を出した方からも、災害後の消息を訪ねて寒中見舞いが来た。
結局例年並みに年始の挨拶状をやり取りしたことになる。
昨年年賀状は止めにすると宣言した方からも戴いた。
有難いことである。


『漢クロで 暇を潰して ボケもなし
       字の下手さ加減 相も変わらず』
商品をゲットしようという気持ちは余りない。
暇潰しと奇麗な文字を書く訓練のために漢字ナンクロをする。
500程のマスに6~70個の文字で100程度の熟語を作る。
100問程の問題にはかなり重複した熟語が出てくるのでヒントになる。
また、一文字違いの似た熟語も多い。
★が3つまでは時間潰し、4つ以上は挑戦の気持ちである。

黒マス捜しは2度楽しめる。
黒マスにはあるルールがあるので、それに気付けば難しくはない。
また漢クロと並行して回答してゆけば早く黒マスを見つけることができる。
ノーヒント(或いは少ヒント)は推理の楽しみがある。
1,2日間全くの暗中模索、イライラすることもある。
諦めかかった時に、閃いた漢字を一つ二つ当てはめると解け始める。
誘導されるように回答範囲が広まる、その妙味がたまらない。
最後の数個が解らずほおっておくと、或る時パッと閃いたりする。



『迂回路に 振り回された 後遺症
          娘旅立ち 物足りなさも』
子供が油画の補講で江戸へ旅立った。
夏休みに続いて“紫音”の丘は二人だけの生活に。
台風災害による路線バス不通で、通学の送り迎えの4ケ月余、毎日のドライブは1万㎞に及んだ。
1月くらいは解放される、そしてさらに半月後に卒業。
災害ストレスが無くなり、やっと何かしようかという気持ちになってきた。
`喫茶去’のリフォーム、まずは大工仕事から始めた。
工房、ギャラリー、卓球場などの多目的ルームである。
強風で壊れたガゼボの修復も待っている。
そして春に備えての庭仕事。
やることだけは沢山ある。

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2012年1月 9日 (月)

正月の来訪者

Manngetu元旦、おせち料理を食べ終わったころ、遊漁船の奥さんから電話が入った。
「鯛を釣ったので鯛しゃぶでもしませんか。“紫音”でゆっくりしたいの。お邪魔じゃない?」
1.2kgを超す天然鯛が2匹、見とれてる間もなく急いで1匹を捌いて鍋の準備にかかった。
囲炉裏の炭火での鍋料理、久し振りである。
昼過ぎから食べ始めて、最後の雑炊まで、4時間かかった。
更に夕飯には娘にあらを塩焼きにし、酒のつまみに酒蒸と刺身、鯛を堪能した元旦だった。
ゆっくりした元旦に感謝してくれたが、我々はもっと感謝!!

消息が途絶えていたかっての常連客から電話があった。
「いろいろあって御無沙汰してました。近々行くからよろしく。」 
植木屋を商売にしており、当時庭から雑木林を見ながら、遠方の山が透けて見えるように少し木を間引いたら良い、炭焼さんに切ってもらったらと対象の木々に印をつけて帰った。
その木々が今や切るまでもなく成長し、幹の間から山々が見えるようになった。
7年振りくらいだろうか、再来を楽しみに。


初めての宿泊は大阪からの御家族。
体の弱い人がいるので、辛い物、油物、青魚などは厳禁という制約がある。
感心するのは家族が食生活を合わせていることだ。
極力要望に沿うように調理に気をくばった。
「寒さを忘れる温かいもてなしをありがとう。長いものお寿司、しそ梅のおすまし、柿なます、などどれをとっても美味しかったです。枇杷の葉も集めて頂いてありがとう。」
そう言えば梅畑の周りにあった数十本の枇杷の木は猿を防ぐためにすっかり伐採されていた。

そして常連の二人連れ。
知り合った農家や炭焼さんを訪れ、夜遅くまで話し込んでいた。
また、御老人にお願いして昔話を聞きながら藁草履の編み方を教わって来た。
「昨年の8月以来、念願の清川に来させてもらいました。心が安心する“紫音”のご飯。心も体も調子が良くなり、病み上がりでしたが完治していきました。・ ・ ・ ・」
精力的な2泊3日、帰りしなにもっと自分を磨きたいと言いながら離れの掃除をしてくれた。

区の正月例会、お客さんがいたし、喪中で穢してもと思い欠席した。
区長から班長を引き受けてくれないかとの電話。
「客商売なんで休祭日の行事などで迷惑をかけることになるんで。」
と取りあえずはお断りを。

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2012年1月 1日 (日)

2012年元旦

Nousagi2012年が明けた。
天気曇り、気温2℃、日の出は見られない。
テレビではダイヤモンド富士を生中継している。


庭のベランダの下に野兎が潜んでいた。
付近に住み着いているようで、夜、車のヘッドライトの前を跳び跳ねることが多い。
道路に沿って一直線に逃げ、途中でさっと藪に消えた。


30日におせち料理の一部を手伝った。
定番になっていて、叩き牛蒡、田作り、そして伊達巻。
孫達からの要望もあって逃れられない。
いつもおやつ代わりに食べる胡麻をたっぷり料理に使った。


そこで胡麻談義。
煎り胡麻を小匙一杯分くらい手のひらに取って食べる。
噛むと数粒づつ押しつぶされる、噛むごとに押しつぶされる数が少なくなる、その感触が病みつきになる。
全て粉になったと思われる頃、白湯をごくん。
たまに歯の根元に一粒残ったりする。
胡麻に含まれるセサミンが不老長寿の元とサプリメントを宣伝するメーカーがある。
そんな事とは関係なくおもっぱら菓子代わりである。


胡麻の値段はピンからキリまである。
1グラム1円程度から5円程度まで、特に京胡麻、金胡麻などが高い。
何が違うか高いのを食べたことが無いので良く解らない。
しかし、安いのでも産地や煎りの深さで味が異なる。
当地では胡麻に梅味をつけて売られている。
産直店で試食用に置いてあるが、塩分があるので食べすぎは無用である。
ふりかけとしてご飯と一緒に食べると良い。

江戸時代には小麦粉の胡麻を混ぜて焼き菓子を膨らませたそうだ。
‘胡麻菓子’が‘誤魔化す’の語源の謂れ。
胡麻煎餅や胡麻饅頭など胡麻を使ったお菓子も多い。
胡麻油、胡麻味噌など調味料、そして胡麻豆腐。
味醂干し、田作りなどは胡麻が無ければ味気ない。
今は胡麻の原料は大半が輸入で、国産は鹿児島県産くらいで1%に満たないそうだ。


娘が胡麻の匂いを嗅ぐとお父さんを思い出すと言う。
孫が遊びに来ると手のひらを出して一杯欲しいとねだる。
我が家では公然の事実、誤魔化せない。

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2011年12月25日 (日)

蘇った一世紀

Ryokoukaban1900年代初め、或る陸軍中将が愛用していた旅行鞄。
兄嫁の実家の押入れから出て来た。
天津の芙蓉ホテルや北京の承徳ホテルなどのワッペンが貼ってあった。
キーワードが‘石川県出身’、‘台湾勤務’と祖父と共通するので愛着を感じた。
古い物に興味のある娘、下北沢の小道具屋でそういう鞄に見入っていたことがある。
何とか再利用できないものか、美山の家具職人にお願いしたらキャスター付きのキャリーバッグに変身した。
勿論材料は自然木である。
今度は油彩画材が納めれるように中を改造する。
蘇った一世紀、古くて新しい旅行鞄である。


テレビの水戸黄門がオーラスに。
宿を始めて初期の頃、うっかり八兵衛(高橋元太郎さん)と格さん(伊吹吾郎さん)が前後してそれぞれ別のテレビ番組の取材で訪ねてくれた。
   旅の宿“紫音”物語 第七話 他力本願
二人は40年ほど前、東野黄門の時に前後して登場し、西村黄門へ引き続き出演していた。
歴代黄門の中で放送回数も一番多く、20年間くらいになるだろうか。
自分も良く視ていた時代である。
取材の後、雑談する時間も多くあり、友人たちが訪ねてくれた感じだった。


Hatuyuki今年最後の宿泊のお客さん。
3年振り、8回目の宿泊、いつもこの時期に来られる。
きっと奥さんの誕生日、クリスマスイブになると重複して思い出してくれるのだろう。
こんなにゆっくりしたことは久し振りと言って帰られた。

そのクリスマスイブは今年の初雪。
翌朝、清川の里はうっすらと雪景色に変身した。

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2011年12月14日 (水)

物も人も再利用

Siboridaru玄関に人の気配を感じると、炭焼の熊ちゃんが神妙な顔をして立っていた。
訳が有って清川を去った炭焼さんの置き土産、燃やすには忍びないので、使い方を考えてくれないかと。
窯に行ってみると、その炭焼さんが前職の染色で使用していた絞り用の樽、その数、数十個置いてあった。
長年職人さんが使用し、染料の染みついた5㎝くらいは厚みのあるヒノキの樽、取りあえず庭に植木鉢替わりに置いてみた。(写真上)


下から70代のご婦人が上って来た。
宿泊していた常連の女性と顔見知りだったので、じきに大きな笑い声が聞こえて来た。
「この笑い声が元気の素なのよ。」
書道、絵画、写真、民謡、旅行など多趣味である。
農家の仕事は嫁に引き継ぎ、「今が一番楽しい。‘真今’が。」
羨ましい限りである。


Yamawaki広島からの三人家族、定年を迎えこれまで趣味でやっていた馬目樫や梅の木の手作りスプーンを生涯の仕事に。
「会社勤めが終わってしまうと、何か世間様に後ろめたさを感じるんだ。」と。
しかし、天然木の加工が評価されて、カバンの取っ手などの新しい引き合いが来ることで光がみえてきたそうだ。

同席した熊ちゃん、「俺、足腰不自由だけど、入院治療なんて考えたことが無いよ。山へ行かない日々を過ごしたら炭焼には戻れないし、文章も書けなくなると思うよ。文章は肉体(魂)の体験から生まれるんだ。」
肉体は入れ物、魂がそれを借りて活動するんだから現状の器で‘書くために’今精一杯頑張るんだ、という人生哲学。(木の国在住記
いい加減な文章を書いてる自分が恥ずかしい。

前述の親子に絞り樽の話をしたら、早速見に行って再利用のアイデアが、何個か車に詰めて持って帰った。
次回来るときに新しい製品を持参することだろう。
これまでの作品の一部が“紫音”のギャラリーに展示してある。(写真下)

きしくも、今日65歳までの再雇用をうたった法案のニュースが流れた。
新しくなく古い施策である、再利用は難しい。

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2011年12月 5日 (月)

戻って来た日常

Hotemikai2_212月1日15時、国道424号法手見トンネルが通れるようになった。
3ケ月振りの解放感、同時に溜まった疲れがどっと出た。



トンネル出口から大きく右にカーブし、500mくらいの片側交互通行の迂回路は二つの信号があり、最大5分程度待たされる。
しかし、島の瀬ダムの対岸を通る4㎞の迂回路に較べたら天国と地獄である。
完全復旧は国道改良工事に合わせるとか聞いたので10年先か。

これまでの復旧工事中はやむを得ず面谷トンネルから芳養経由で南部を往復していたが、心身のストレスも極限状態に、そしてやっと解放された。
ありがたいことで感謝しなければならないが、現在の土木技術からしたら3ケ月は時間がかかりすぎた。
バイクや自転車で通学している高校生は大変だったと思う。

自分自身、この間に田舎の山道を走りまくった距離は5,500㎞、なんとゆうに日本一周した距離になる。
負荷を考えると、本当に日本一周をしてみたかった。

姪の結婚式で静岡へ行って来た。
徳川家所縁の浮月楼での披露宴、さすが料理はすばらしかった。
新大阪へ出て新幹線を利用したが、改めて紀勢線の乗り心地の悪さと遅さを実感。
2週間後に今度は母の納骨で鎌倉へ行く予定。
飛行機で白浜から羽田経由となるがその料金の高いこと。
日本列島の袋小路である和歌山県、台風被害でクローズアップされた道路を含め交通課題は多い。

お客さんはぼちぼち再来客が来始めた。
道路事情が戻り、営業が出来るようになったが、改めて宣伝はしないつもり。
あとは自然態で ・ ・ ・ ・ ・

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2011年11月27日 (日)

台風被災のトラウマ

H23kouyou廻りのモミジの紅葉が始まった。


国道424号法手見トンネルは何時(いつ)通れるようになるのか。
路線バスは何時(いつ)清川に入ってくるのか。
応急措置の崩落場所は何時復旧するのか。
行政は相変わらず応えてくれない。

そんな折、12月から法手見トンネルが通れるようになり、路線バスもジャンボタクシーで乗り入れるという話が流れて来た。
公民館に真偽を訪ねると、住民の一番の関心事に他人事みたいな曖昧な返事。
行政ってそんなものかなあ、町長さん。


深夜、娘を迎えにみなべ駅まで走る。
いつもは妻が同乗するが今夜は宿泊客がいるので一人だった。
対向車が少ないだろうと島の瀬ダムの迂回路を通った。
案の定20㎞の間遭遇した車は市街地での4~5台だけ、3ケ所の崩落片側通行の信号にも一台の待ちも無かった。

新月、漆黒の闇、ヘッドライトの明かりだけ。
4㎞の迂回路を真っ暗な湖面に沿ってカーブをみぎひだり、狐か狸に化かされてダムの廻りを周回して抜けられないのではと錯覚するほどの孤独感。
ダム湖の霊が後部座席に座っているのではと背筋が寒くなり、思わずバックミラーを覗く。
ダムの明り、そして国道に出て安堵感。

帰路は芳養ルート、やはり山道での対向車は無かった。


台風12号の置き土産はトラウマ、或る人が語った。

山道を走っていると、ドライバーが皆悪者に思える。
速く行け、通行の邪魔だ、背後からの脅迫者である。
やさしい顔をした里の人がハンドルを持つと鬼と化す。
美しい峠道が牙をむく。

面谷トンネルにさしかかると、対向車の明りが恐怖心を煽る。
控えめな人も先を急ぐあまり正面からの脅迫者となる。
先の見えない、離合のできない峠のトンネルがゲームの場と化す。
素朴なトンネルが牙をむく。

強い雨が降ると、山々がどこか崩れて来るように思える。
水が重い、早く解放しろ、頭の上からの脅迫者である。
四季を楽しませてくれる景色が修羅場と化す。
山菜をもたらす野山が牙をむく。

弱音を吐くと、里の人達が笑っているように思える。
皆同じだ、何をほざくか、心の中の脅迫者である。
やさしく微笑む人達が三途の囚徒と化す。
安心のあるはずの里が牙をむく。

等々。


旧友たちは有難い。
消息を訪ねる電話が心をなごます。
激励の手紙が勇気をもたらす。
似非のふる里は傷だらけ。

台風被災のトラウマ、精神的外傷からの解放は彼方にあった。

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2011年11月16日 (水)

温故知新

Taiyamamou一年前に車検対応で交換したタイヤ、気が付いたら前輪の摩耗が始まっていた。
晴天の日を狙ってタイヤのローテーション、カーショップでやってもらうと15分で済むが、1時間の作業となった。
サイド部分の摩耗なので、カーブが多いせいだろう。
摩耗の始まったタイヤは後輪で頑張ってもらおう。
ローテーションの後は快適さが戻った。
前回3年、今回は1年半、国道崩落で連日山道をひた走る結果である。
後半年が限界だろう。
台風の後遺症はガソリン代だけでなく、タイヤ消費にも影響した。


Tiribetu暇にまかせて古い写真の整理。
35㎜フィルムやプリントをディジタル化するN社の機械。
フィルムのスリップやプリントに横縞が入るなどで2回も初期不良で交換した。
しかし、その後の作業は順調に、ネガフィルムやばらのプリントを大量処分できた。
数千枚を2GのSDに納め、パソコンで簡単にスライドショーができる。
めったに見ない古いアルバムを手軽に再生できるようになった。
作業を通して人生におさらいをさせてもらった。
さて何を学ぶか。

序にビデオテープもハードディスクに収納しCD化、ゴミの日に段ボールいっぱいのテープを処分した。
ビデオ再生機も過去の産物になってしまった。

この半世紀、技術の進歩でいろいろ媒体が変わりディジタルで小型化されたが、この先はどうなるのだろうか。

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2011年11月 8日 (火)

帰って来たお客さん

Nikonoensu相変わらず朝晩の送り迎えが続く。
国道の復旧は、ユンボ一台でのらりくらり。
それこそ地球の耳かきでいつ完工するのか見通しがたたない。
50日経って知事がやっとこの里を視察に来たと言う話が聞こえて来た。
工事を早めるように言ったとか言わなかったとか。
災害の全てが忘れ去られ、その生活が日常化しようとしている。

暗くなると山道には野生動物が餌を求めて出てくる。

猪の親子連れが3頭。
山側から出て来て、車に見向きもせず悠々とライトの中を横切る。

狸の夫婦。
藪から車道に跳び出し、車に驚いてもこもこのお尻を振りながら右と左に逃げる。

兎が一匹。
立ち止まってこちらをちらり、やわら急いで藪の中にホップステップジャンプ。

一番たちの悪いのは狭い山道を我がもの顔でスピードを出して走る若者(?)と言う動物かもしれない。

そんな中、ぼちぼちお客さんが戻り始めた。
輪留田さんは有田ICから美山を廻って走ってきた。
今回は一人。
宿泊記録は夫婦でと、あえて更新しなかった。
ふるさと道場で二胡の練習、それを傍で聞く和尚と悦に入っていた。

法事の食事のお客さん。
みなべICから島の瀬ダム迂回路を離合に苦労しながら上って来た。
でも清川に来てみて良かったと。

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2011年10月26日 (水)

卒寿そして永眠

Mirokunote『魅せられて 古木に刻む  弥勒の指(て)
     何を想うか 吾は吾なり』
 (松の古木、松明に使うそうだ)

母が他界した。
8月に緊急入院した時には父の命日(10月6)前後かなとの予感。
そこに台風12号の被害、(私の勝手な解釈だが)ころ合いを見なければと頑張ってくれたのだと思う。
見舞ってくれた兄姉によれば、その間、最近に無く元気だったと言う。

ある人の人生訓に、「90歳でお迎えに来たらそんなにせかさずとも良いと言え。百歳でお迎えが来たらこちらからぼちぼち行くと言え。」 とあったがそんなところか。

“紫音”を始めた時、記念の日本タオルを用意してくれ、お客さん用の作務衣も準備してくれた。
清川に滞在していた時は自ら作務衣を着て、我々の後ろで控えめにお客さんをお迎えしていた。
宿経営に素人の息子が何をしでかすか心配だったのだと思う。
その後も清川で一緒に住みたいという思いが伺われたが、知人がいない、周囲が急坂道である、医療施設が無いなどの諸事情もあり、在京の兄姉の世話で都会の老人ホームで余生を過ごすことになった。


卒寿のお祝い(10月2日)ができなかったので、葬儀場や僧侶によるいわゆる葬式は止め、お祝いを兼ねて身内でお別れ会を催した。
祭壇も質素に、棺を飾る物は遺影と花だけである。
孫や曾孫を含め30人ほどが出席した楽しい会となった。
これまでの感謝を込めて。

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2011年10月14日 (金)

災害から40日

Syuumei『咲きだせば なんのなんのの 秋明菊
    誰が言ったか ‘色あせる愛’』

見るからに保守的な花、控えめな蕾が頭を持ち上げて花を咲かす。
秋の庭にそれなりの華やかさと落ち着きをもたらす。


災害から一ケ月余、道路の復旧工事はそれなりに。
半年ほど経過した気分である。
その40日目に再び大雨が降った(総雨量188㎜)。

このひと月、みなべと田辺にしか行かなかったのに走行距離は2,300km。
通常月の3倍走ったことになる。

如何にして走行効率を上げるかが経済的課題だ。
芳養ルートの補修部分が夜間に舗装された。
僅かな距離だが走行に安心感が生まれる。
島の瀬ルートは芳養ルートに較べ2kmほど長い。
一方、ガソリン価格は、清川のスタンドは市街地のセルフに較べて10円強高い。
燃費とガソリン単価を気にしながら、山道を走る。

Hotemi3法手見トンネルを開通させるように努力してるようだ。
そうすれば迂回路は500m程度に短縮される。
ダムの対岸を走らなくて済むようになればストレスも解消されるだろう。

みなべから様子見に上がって来たお客さん、コーヒーを飲みながら、「狭い道の離合が怖かった。」 と。

法事の会食を頼まれた。
「仕出しできるかな。」 「仕出しはしてないんです。下のお食事処でしてますが。」 「“紫音”の食事が食べたいんで、そっちに行くわ。」 「ありがとうございます。」
この折、貴重なお客さんである。

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2011年10月 5日 (水)

秋もつるべ落とし

半月で気温が10℃下がった。
台風12号の後、猛暑から一気に秋になった感じである。

Kinmonga写真はキンモンガ。
栗の木の葉に珍しい、蝶のような蛾がいた。
冬支度なのか動きが鈍い。
第一印象は、黄色のベースに黒で大胆に線を描いた、モダンアートのように感じた。
調べたら個体によって黒地の黄紋が薄黄であったり、白であったり、或いは紋の形が異なったり、多様な種類がいるという。
雄、雌での違い、生息地での違いがあるようだ。


旅の宿“紫音”、休館して一カ月目、常連さんが二人、炭焼さんの家族三人が宿泊してくれた。
常連さんは大阪から高速道路をみなべICで降り、国道424号を通り、島の瀬ダムの迂回路を通って清川に入った。
一旦仕事から離れてしまうと、なかなかペースがつかめない。
休館が長引けば長引くほど営業再開は難しくなるのではと思い始めた。
しかし、久し振りに収入があると言うことで、水を得た魚のごとく、気力を込めて食事の準備にかかった。
娘の帰宅時間には、「迎えに行きますので留守番お願いします。」 とおまかせも。

Ⅰターンの炭焼さん、病気治療で一時清川を去ることに。
帰りしなに皆さんが、「料理美味しかったです。焼酎も。」  
「ありがとう。行ってらっしゃい。」 安らぎのひとときである。

Hukyukouji「島の瀬の迂回路、行けども行けども、長かったこと。」 夕方、久し振りに来た釣り船の奥さんが‘伊佐木’を持ってきてくれた。
お客さんが帰ったあとで残念だったが、我が家の夕食で刺身と塩焼き、残りは下処理して冷凍にした。
感謝である。

今年の清川天保神社の秋祭りは台風の被害で中止に。
10月30日、神事のみ11時に繰り上げて執り行うことにとなった。

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2011年9月28日 (水)

運転に現れる性格

Hotemi2国道424号法手見トンネルの崩壊現場(写真はMさん提供)
トンネル出口は左の土砂の真中付近。
島の瀬ダムの対岸道路への迂回路は田んぼの手前になる。

田辺方面へ行く県道清川・芳養線が境界にある面谷トンネルの先で陥没した。
通れるようになって僅か2日、また選択の余地なく島の瀬ダムの対岸道路を走らなければならなくなった。
その迂回路は約4㎞ある。(写真下クリック)

Simanose5見通しを確保するために道路際の樹木を伐採し、少しでも広くするためにガードレールを撤去し、更に10本以上のカーブミラーを新設して、徐々に走行の安全を確保しつつある。

娘の通学の路線バスが通れないので、毎日片道25㎞を送り迎えしている。
妻が運転してみたいと言うのでトライさせた。
数多い変化に跳んだカーブや離合の度合いがゲーム感覚的なのか、「私、この道好きかも知れない。」 と。
追って県道清川・芳養線は3日で復旧。


狭い山道を飛ばす人、若い女性も多い。
周辺の家にとっては普段は静かな道路だったところに、迂回する車がなだれ込んだのだから、通らしてもらってありがとうと言う気持ちで安全運転したいものだ。

離合するとき、笑顔で「お互い大変だなぁ。」 という気持ちを現わす人が少ないことに気がついた。
「わしは急いでるのに、何でこんなところで出くわすンか。」 「もっと、さっさとよけろや。」と言いたげな不機嫌面が多い。
車を運転していると自分が主人と錯覚するのだろうか。

追い立てるようにぴったり後ろにつく車、特に夜、カーブでヘッドライトで直後から照らされると、前方が見にくくなる。
対向車に出くわして急ブレーキとなると追突される危険性もあるので、車間距離は空けてもらいたい。

県道清川・芳養線は離合できない百メートルは超す面谷トンネルを通らなければならない。
真ん中の峠の部分が高くなっているので、反対から入ってくる車が分からないことがある。
後から入ってきてもガンと譲らない車、数台どうしになるとどちらがバックするか、しばらく暗闇で睨めっこである。

里の人は愛想が良く、優しい。
しかし、中にはハンドルを握ると鬼と化す人がいるのは寂しいことだ。

「狭くても道路が通じて良かったね。」 とは経験してない人の言うセリフ。
10日ほどで山道を1,000㎞走ったことになる。
ストレスもピークに、昨日今日、帰ってきて暫くは頭から血が引かない。
「私、この道好きかも知れない。」 と言った妻も2日でストレスの塊に。
 『朝と夕 山道行き来 ひもすがら』

法手見トンネルの開通、早期に気の効いた解決策が望まれる。


友人のブログ 山荘での一人暮らし (九州・久住でのオーガニックライフ) に旅の宿“紫音”の記事/台風12号が掲載されました。
      
只今、旅の宿“紫音”は休館中です。

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2011年9月20日 (火)

彼岸花・早松・紫苑の花

Sirohiganbana台風の被害が暦を忘れさせていた。

「彼岸花の蕾が伸び始めたなぁ。」 とコーヒーを飲みながら里の人が呟いた。
連想ゲームじゃないが、「そうか、早松(さまつ)の時期か。」
その翌日、俄雨に濡れながら、枝に刺した小振りの早松数個を届けて来た人がいた。(写真中)
やはり、季節感は忘れられていなかった。
旬の味をお客さんに差し上げられないのが残念である。

会社の先輩が、今の世は高度成長で浮かれていた時代のツケが廻って来たのかな、と言っていた。
自然にも安定した形態があり、過度に人手が加わるとそれに抵抗する力が働くのだろう。それが天災の繰り返しとなる。

Samatu23里の老人が60年振りの水害だと言った。
法手見トンネルは建設の時に水が出て、対策に四苦八苦したそうだ。犠牲者も一人出たと聞いた。清川内の国道改良工事が始まる今年に、その起点地域の住民が生き埋めになったのは単なる偶然だろうか。
梅パイロットの擁護斜面が崩れて、下の肥料工場を押しつぶした。ブログを見てメールしてきた人がいる。昔、そこに家があったが半世紀ほど前の台風で、土砂崩れで壊されたと言っていた。

10年くらい前に紀伊民報に投稿したことがある。「梅畑が数ケ所雨で崩れている。山の保水力が無くなったのが原因と思われるので、梅畑を開墾するときは役場に届けて審査を受けるようにしたらどうか。」という要旨だった。
“紫音”は梅パイロットを造成した時に土砂を切り出した平地にある。上り坂もその時に造った進入路である。ある時、元村長が野球場から見上げて「切り壁の地肌が気になっていたが、木が生えて目立たなくなって良かった。」と言っていた。今回崩れたのは、その切り壁に生えた木が大きくなって重みに耐えきれなくなったのも一因だと思う。今年の2回の台風で、切り壁が6ケ所が崩れた。北側の梅パイロットの擁護斜面も崩れ、“紫音"は3方向から身を剥がれた。‘天空の宿’となるのではと危惧している。


Sion23庭を草刈りをしていたら、紫苑の花が叢をなし誇らしげに咲いているのに気がついた。

『丈高き ことが淋しく 花紫苑』 (遠藤梧逸)
たまたま目にした本に載っていた句である。

旅の宿“紫音”は休館中です。
但し、勝手知ったる、リピータの方、知人の方で多少の御不自由に目をつむっていただけるのであれば、宿泊をお受けします。

 

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2011年9月16日 (金)

台風12号/つんぼ桟敷

Asahikoe_2旅の宿“紫音”は年内は休館します。

但し、勝手知ったる、リピータの方、知人の方で多少の御不自由に目をつむっていただけるのであれば、宿泊をお受けします。



全ては4日早朝、土砂災害の救出のための消防団召集放送に始まった。
しかし、前日22時過ぎに停電したのが前兆だったのかもしれない。
通信手段が全て途絶えた。

4日、豪雨の中、班長が回覧板を持ってきた。
災害対策の情報かと思ったら、不急のチラシだった。
「清川が孤立しています。今しばらく御辛抱を」と役場の有線放送があった。
知らされたのはそれだけである。

電気は2日間停電、我が家は水も電気に依存しているので断水も2日間。
影響は食材を保存している冷蔵・冷凍庫、水洗トイレに出た。
電話、携帯電話、テレビ、インターネットは4日間使用不可、よそからの電話は通話中になり、戸惑ったようだ。
里の人達は“紫音の丘”で携帯が通ずるという風聞で集まってきた。
当然新聞も配達されないので、世間から情報隔離されてしまった。
道路は国道が一週間、“紫音の坂”は10日間通行不可の後、仮復旧した。


災害の現状、ライフラインの復旧の見通しは知らされることはなかった。
電気、電話など企業が絡む話には関せず、ただ役場の光ケーブルが切断され、相乗りして影響を受けた情報機器については回復時に放送があった。
道路はどこが普通で、どこへ行くにはどうしたら良いかなど、訪れる人の話を総合するしかなかった。
電話帳に付いているゼンリンの地図を貼り合わせて、清川全体の大きな地図を作り、その情報を元に災害現場をマークした。

NHKはテロップでこまめに情報を流していたが、地元の民報は役に立たなかった。
たまにテロップを流してもCMと共に消えてしまった。
押し入れの奥に鎮座した、ラジオの有難さを思い出された。

東北の震災でも住民の情報飢餓が話題となった。
我が身は4日間で済んだが、その飢餓状態を充分味わった。
そして感想を朝日新聞『声』に投稿した。(写真クリック)

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2011年9月13日 (火)

台風12号/道路事情

旅の宿“紫音”は年内は休館します。
但し、勝手知ったる、リピータの方、知人の方で多少の御不自由に目をつむっていただけるのであれば、宿泊をお受けします。


長~い一週間、短い一週間だった。
電気が通じた時、ある人は 「この不自由さ、一月間味わった感じがする。」 と。
ライフラインの復旧、残すは道路である。

Hukkyuu1“紫音の坂”が仮復旧した。
復旧の優先順位を如何に確保するか、エゴを主張するつもりはないが、そう感じた。
役場は不自由でも抜け道があれば、復旧事業待ちで、まな板にも載せない。
お客さん相手の商売としては、生活道路もともかく、安全に移動してもらえる方法を確保しなければならないので間接的にお願いしてもらった。
工事は知り合いが担当してくれたので、13日夕方までに何とか通行は出来るようになった。(写真上は球場から一つ目、写真中は二つ目の復旧現場)
近所の人が犬を連れて上ってくる日課が戻った、笑顔でかわす朝の挨拶が。
崩れた斜面の上に根の浮いた10メートル近い高さの楢の木、2次災害を防ぐために、林業の経験がある職人さんが切り落としてくれた。
こだわりに感謝!!!。


Hukkyuu2210日、日高川沿いを走った。
水痕からすると、正に山津波である。
あれだけの川幅を持つ水面から数メートル以上の国道を超え、民家を洗っていた。
清川だったら山が迫っており、川沿いの民家が多いので大惨事になっていたのではとゾッとした。
有田ICから国道424号を利用して清川に入るルートはほぼ正常である。

Tuukouseigen11日、前日生活道路として仮復旧した国道424号でみなべへ出て、田辺まで行った。
擁壁が流され河岸が崩落したところが何箇所あっただろうか。
島の瀬ダムの対岸道路、数キロの間、対向車に気を使いながら走ることになり、離合で4,5回バックした。(写真下)
大きく崩壊した場所は鉄板で補修してあった。
山菜採りなどで走ったことはあるが、娘の通学のため毎日朝夕2回行き来、所要計3時間、肉体的負担が大きい。
国道424号をみなべICから土地不案内の人が通行するのは難しい。
当然、路線バスは運行しない。

みなべ町にはデマンドタクシ―という仕組みがある。
路線バスが運休、道路事情は当分改善しない、という現状で、毎日運行するとか、時間帯を変えるとか、うまい運用をして欲しいと提案したが、制度上の制約があると一蹴された。
山村の新しい交通形態を試行するチャンスだと思うが。

周辺交通は、“紫音”から中辺路経由で熊野古道方面へは通行不能。
田辺経由で白浜方面へは通行難行(上記)。
龍神、田辺線は虎が峰で通行不能。
御坊方面は龍神福井から国道425号を利用。

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2011年9月 9日 (金)

台風12号(第3報)

旅の宿“紫音”は9月は休業します。

Taihu124携帯電話が復旧し、電波を求めて彷徨う人がいなくり、“紫音の丘”に静けさが戻った。

人の業で静けさが戻ると動きが欲しくなる。
坂の土砂(写真はその一つ)を早く取り除いてもらいたいので、和尚を通して区長に聞いてもらった。
区長が役場と話して、生活道路なので早めに対処しよう、となったそうで、一安心。

宿から国道に出るために、今はお寺を廻らねばならず、対向車が問題だ。
約1㎞の間、一台でも来ればすれ違えるのが2,3ケ所、難儀するのは間違い無い。
歩いたらどうかと試してみた。
馬目樫の遊歩道を降りて、
備長炭観音経由で国道へ出た。
二日分の新聞を取って、帰りは国道、そして本誓寺の裏道をを上り、“紫音”まで一周した。
約50分、健康な人が歩いて移動できれば‘孤立’とは言わないそうだ。

国道424号みなべ方面は、9日夕方、滝地区は旧道を迂回路に、辺川地区は片側交互通行で開通した。
今朝、崩れた法手見トンネルの手前から島の瀬ダムに沿った道を迂回しながら行けるようになり、みなべまで全通となった。
しかし、25分で行けたところが小一時間かかるだろう。

大阪方面は424号で龍神村福井経由で有田ICに出れば1時間ほどで高速に乗れる。
みなべIC経由と時間はほとんど変わらない。

 

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2011年9月 8日 (木)

台風12号(続報)

旅の宿“紫音”は9月は休館します。

8日の早朝から、メールと電話にかかりっきりになった。
法手見トンネルの土砂崩れで切断された町の光ファイバーに依存しているので復旧に時間がかかったようだ。
“紫音”の付近で高城地区の携帯電波を拾うと言う話が広まり、老若男女が集まってきた。
時ならぬ賑わいに雉の子供が驚いていた。

Seimaisyo車で周辺を走ってみて、水害の凄まじさを目の当たりにした。
あちらこちらの山肌がむき出しになり、河川の護岸が崩落している。
沢谷に面した道路には雨水が集中し、川となり、無数の石塊を押し出している。
水面から3メートルはある橋げたに流木の塊が引っかかっている。
河岸にある精米所は水流で潰されている。(写真上)

天保神社の馬場が川と化した形跡があった。
稲の実った田んぼに土砂が流入している。

清川には土木屋さんが多く、重機を使いこなす。
里の中から復旧させる活力がある。
孤立した家を優先して泥かきをしている。
石倉と木の川間の道路の陥没は土のうで応急処置し、宇呂住(法手見トンネル付近)まで通行可能となった。
あとは木の川地区が孤立しているので、今日明日中に目途をつけるものと思われる。


Taihu123“紫音の坂”は南側と西側で4ケ所が崩れた。(写真中)
球場に近いところは数十メートルに渡って小山のように土砂が落ち、擁壁も崩れた。

北側にある梅パイロットの下の斜面が大きく崩れ、下にあった肥料工場を押しつぶし、道路まで塞いだ。(写真下、借用)
写真の左上が旅の宿“紫音”である。
“紫音”が‘天空の宿’と化すのかと思えるほど。


Pairott_2「人の手が入った自然が、元に戻ろうとしてるのかなぁ。」 と或る人が呟いた。

一畳ほどの清川の地図を作り、様子伺いに来る人の情報をもとに災害状況を記入してみた。
災害対策本部にこういうものがあったらいいのに、とも言われた。

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台風12号

Taihu121台風12号は前座、本番(3日)、後座と豪雨が3日以上継続した。
時間雨量40㎜、累積雨量500㎜、名之内等山間部は600㎜を超えた。(写真中)

過疎の里の文明開化、山にトンネルを掘り、川に橋をかけ、2車線の道路、市街地から20分で来られるようになった。携帯電話の基地ができ、ADSLでインターネットも。ところが今回の台風でその文明の利器がすべて失われた。

Taihu24日早朝、里の入り口のトンネルが土砂で塞がれた。脇の家が押しつぶされ青年一人死亡。
他の2本の道路もがけ崩れで通行不可。あちらこちらに川ができ、山崩れ、河川の護岸流損、田んぼの水没など50箇所は下らない。
梅畑などで山を伐採し保水力が無くなったのか、里の老人は60年振りの水害だと言っている。

“紫音の丘”は上り坂が4ケ所崩れ(写真下)、陸の孤島になってしまった。寺側の細い道を利用して、熊ちゃん、スーちゃん、和尚と軽トラ組が支援してくれた。
更に電線が切れて停電、携帯電話の基地も不能、テレビは映らず電話も使えない。外部との連絡の手段がなくなった。我が家は水道にポンプを使っているので調理、入浴、水洗トイレすべてダメ。冷蔵・冷凍庫は役立たず。お客さんのいなかったのが幸いした。

Taihu1225日、久し振りの太陽で太陽光発電を自立モードにして日中冷凍庫を動かした。そして夕方、40時間振りに通電、気持ちがグッと明るくなった。テレビはBSだけ視ることができる。

国道の復旧に1ケ月はかかるとの話、娘の通学バスは使えないので、田辺か印南経由で送り迎えしなければならない。1時間半かけて学校に事情説明に行き、暫く公休扱いで様子を見ようということになった。

“紫音の丘”は上り坂の修復は優先順位が高くないと思われるので、今月のお客さんはキャンセルすることになるだろう。

7日深夜、電話、携帯、インターネット、地デジが回復し、4日振りに文明社会が戻ってきた。

被災地の不自由さを自ら味わうとは夢にも思わなかった。
神様は均等に試練を与えてくださるようだ。

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2011年8月25日 (木)

夏が去り始める

Burueberry今年の夏休みは、前半は猛暑、お客さんはいずれも再来の人達だったので、勝手知ったる何とかで助かった。
『今月は主人と二人でやってまいりました。両親のお墓参りの後、無理やり泊めて頂きました。大渋滞につかまってしまい何倍もの時間がかかりましたが、おもてなしの料理にホッと一息。今回も自然が迎えてくれました。』
そして、10人近いお食事のお客さんが続いた。

その間をぬって、東京へ3日間、帰るなり九州の娘家族の訪問対応で5日間。
バタバタで気が付いたら夏休みも終盤に。
数日前からの豪雨、あとには台風が二つ南洋に。
この秋は自然気候との闘いになるような気がする。

Okura庭農場では珍しく、オクラとブルーベリーが豊作だった。
遊びに来た孫たちに採ってもらい、充分味わってもらえた。

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2011年8月14日 (日)

セミも躊躇う暑さ

Yuuyake三日間の夏休み。
東京の人混み、アスファルトジャングル、灼熱の世界だった。
清川に戻ったのは夕刻、陽も沈み清々しさがあった。
しかし、日中はここも35℃という猛暑の連続である。
帰るなり10名近い食事客が2日間、そして宿泊客が3日間、気だるさが行動を妨げる。
「ありがとう」 の言葉に元気付けられる。

東京ではミンミンゼミが、そして大阪ではクマゼミが合唱していた。
清川ではアブラゼミが暑苦しい鳴き声を、のはずが今年は控えめなニイニイゼミ。
そう言えばミンミンゼミも今年は余り鳴いていない。
セミの世界も気候変動に影響されているのかもしれない。

犬養美智子の‘新約聖書物語(上)(下)’の文庫本が本棚にあった。
義父が生前に読んだか、読みかけたか、30年くらい前の本だ。
暑さを紛らわそうといっきに読みあげた。
女性作家としての認識しかなかった氏の生涯本業が聖書研究だったとは知らなかった。
前に半分読んだ、ウォルター・ワンゲリンの‘小説聖書・旧約篇’が気になって再読み始めた。
新約篇を本屋で探したが、見つからなかった。
それならとアマゾンで検索したら、定価1,500円の本が1円で見つかり送料込みで251円、すぐに注文した。
何の気なしに翻訳者を見たら、妻の学生時代の同級生だった。
妻に話すと、「そんな子いたっけ、寮生(自分は田舎者)と通学生に壁があったから」、半世紀近く昔の世界である。

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2011年8月 9日 (火)

蘇鉄の花

Sotestu朝、夜明けとともに蜩(ひぐらし)がけたたましく鳴く。
びっくりしたようにホトトギスが鳴きだし、やおら鶯がさえずり始める。
不思議と6時前頃、全て沈黙のひと時がある。
ピタッと鳴き声が止む。
数十分後に鶯が覗うように正鳴きを始める。
旅の宿“紫音”の夏の朝である。

庭に蘇鉄を何本か植えてある。
大きいのは背丈を越した。
その内の一本に始めて花が咲いた。
40センチほどの雄花、雌のカブトムシがとまっていた。
雌雄異株なので雌花は雄花がしっかり定着するのをみてから咲きだすのだろうか。
この蘇鉄のルーツは20年ほど前に遡る。
大分の国東半島の根元に住吉浜というリゾートパークがあり、恒例的に会社の仲間でサマーフェスティバルを開催していた。
たまたまバンガローの横に植えられていた蘇鉄に赤い実がなっており、幾つか戴いてきた。
それを鉢で育てたのがこの蘇鉄である。

もっと古くて新しい話。
日立がテレビの製作から手を引くと報道された。
昭和31年、新しい物好きだった父が購入したテレビが日立製だった。
撤退は奇しくも地デジ元年である。
この半世紀の技術進歩、それに伴う文化の変化に改めて驚いた。
ブラウン管を回収して再利用する国が存在するという事実、何を意味するのか。

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2011年7月30日 (土)

嫌われもの

005夏が来ない、梅雨空の様な毎日。
ここ“紫音の丘”はお客さんが涼しいねと言うように、気温が30℃を超えない。
韓国から東北地方にかかる前線沿いは連日の豪雨。
昨年は7月15日の梅雨明けから30℃を超える晴天が続いたと記憶する。
一昨年の梅雨明けが8月に入ってからだったので、梅雨の末期豪雨と言えるのかもしれない。
降って欲しい時に降る雨以外は嫌われる。

家の中に蜻蛉のお化けみたいのがうろうろしていた。
‘へびトンボ’(写真)、体長は5㎝程ある。
不釣り合いに長く細い首に半透明の大きな羽。
羽ばたくと羽音が聞こえる。
トンボと同様に大きな顎を持っている。
幼虫は孫太郎虫と呼ばれ、子供の疳に効く漢方薬として古くから利用されているらしい。
里の人は‘くさぎ’という木の幹や根に入る虫の幼虫を焼いて漢方薬として用いると言っていたが、同じ虫なのかどうかは分からない。
愛嬌はあるが、一見のグロテスクさで嫌われるのかも。

先日、事業所得がマイナスなのに国保税軽減が当年度の対処になっていないので役場に説明を求めた。
翌年の繰越申請で判断するとの回答、つまり軽減は翌々年ということだったが、取る方はしっかり取って返す方は先送り、この世の中2年も経ったらどうなるかわからないよな。
軽減措置と言うのは今が苦しいから助けましょうと言うのが本筋、国税還付のような速やかな対応が望まれる。
触らぬ神に崇りなし、こんななことで騒ぐと嫌われるだろうか。

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2011年7月21日 (木)

置き土産はNTTトラブル

Taihuu6gou台風6号、珍しい夏台風の襲来だった。
 (予想図は気象庁のを拝借)

高知県の桂浜の近くに来た時から当地も激しい風雨、行く手を阻まれた亀さん台風は2日間吹き荒れていた。
バケツに溜まった水量は約400ミリ、庭には木の枝が折れて散らばっていた。
敷地周囲の樹木が大きく生長し、防風林になったので風は余り感じなかった。
近郊では本宮など洪水で避難勧告が出て、周参見の国道42号は高波で通行規制になった。

Gakeguzure今朝(20日)静かなので台風はどこにと、テレビをつけたらまだ海上で紀伊半島に向かっているとのこと。
ところが風も雨もおさまっていた。
台風は潮岬方向に行ったので、それっきりで時には青空もみえた。
昼過ぎまで各種警報は出たままで終業式を含め学校は2日間臨時休校だった。

我が家の被害は、瞬停電二回、インターネット使用不可5時間。
モデムが故障なのか、サーバーがおかしいのか、回線なのかニフティにも問合せし試行錯誤、結果はNTTのADSL回線ダウンが原因だった.
故障の切り分けをしようと、NTTに電話をするも回復まで繋がらなかった。

上り坂に小規模の土砂崩れがあったが、翌日(21日)には除去してくれた。
 
 (下の写真、修復後)
役場なのか里の人なのか、対応の早さからしたら後者だろうと考えながら感謝。

20日の夕方に食事の予約があったが、仕入の関係もあり事前にお断りした。

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2011年7月16日 (土)

再来に感謝

Dokkinnhou「梅干し業界は未曾有の混乱や。」 或る人が呟いた。
産地ブランド品に珍しく公正取引委員会の検査が入った。
農家の悲痛の声が届いたのか。

「中国の梅が安く手に入る。」
「漬け梅の在庫が充分ある。」
加工業者の買い取り価格が低く設定され、梅農家の漬け梅の価格がいっときの三分の一まで叩かれた。
「慣習だった目安価格が、強者に悪用されたんだよ。」
そこに長雨ですす斑、秀レベル品が半分以下に。
梅農家には辛い年となった。



「久し振りに和歌山に行こうか。」
「うん、欲しいサンダルが手に入るかも。」
思いつきで妻と和歌山市まで車を飛ばした。
「そうだ。食事処‘はしもと’で昼を食べようか。」
十年ほど前、和歌山の庭師さんが“紫音”を訪れ、その後彼の紹介で‘はしもと’の御主人が何度か来てくれた。
そして口コミ、絵本作家、病院の先生などその食事処のお客さんが次々と来てくれた。
食事処‘はしもと’はお城の北側、八番町にある。

今月の宿泊のお客さんはリピータ。
今春に続いて2度目の宿泊、『お誕生のお祝い旅行で来ました。タイミング良く泊れて良かったです。今回も美味しいお料理に満足です。気温も空気も自然の音も気持ち良く快適でした。次は子連れで訪れたいと思います。できれば友人家族と貸し切りで。それを楽しみに出産に挑みます。』
そう言えば、赤坊を連れて再来してくれたお客さんも随分いたな。

備長炭の窯出しや梅採りに来る常連さん。
『昨年の2月以来の宿泊です。梅採りをほんのちょっとお手伝いに来ました。・・・・・』
『一年振りに来ました。本当にほっとさせられる、日常の慌ただしさを忘れさせてくれる日でした。今回は初めて‘あわび茸’なるものを美味しくいただき感激しました。・・・・・』
‘あわび茸’とは有田特産の黒あわび茸でビタミンやミネラルに富む養殖茸で、鮑の様な食感がある。
因みに今回の“紫音会席”は緑黄色野菜揚浸し、鯛と野菜の煮物、自家製ドレッシングによる鰹のたたき刺身サラダ、あわび茸と山芋の野菜寿司などでした。

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2011年7月11日 (月)

イワンのばか

Gomadare写真は‘ゴマダラカミキリ’
  蜜柑農家にとっては害虫だそう。
 
 


本棚にあった誰の本か、小冊子「イワンのばか」が目に入った。
19世紀後半にトルストイが書いた民話である。
腐敗した政府批判、農民解放運動がバックグランドにある。
三人兄弟の末っ子で、権力欲、物欲の強い兄達の中の‘ばかな弟’の話である。
心は優しく、唖の妹の面倒を見ているが、親の遺産は兄達に譲り、無欲な生活を送る。
兄弟仲睦まじい(?)生活に嫉妬した老悪魔が、3人の小悪魔を送りこみ兄弟を破滅させようとする。
軍力で国王になった長兄、金力で国王になった次兄、一方でイワンは病気の王女を治して小国を継承した。
小悪魔の策略をことごとくイワンにしてやられた老悪魔は‘頭’を武器に自らイワンに臨むが、「手にマメを造らないものは食すべからず」の‘ばかなイワン’の小国には通じなかった。

子供のころ読んだのか、親に読み聞かされたのか忘れたが、大筋は記憶がある。
権力欲(戦争)で失敗した日本が物欲(経済成長)でも行き詰まり、霧の中を手探りで彷徨っている。
目指すは1世紀前にトルストイが戒めた社会に生き残った、‘イワン小国’なのか。


先日、ある広告会社から、
「七夕の日にS全国紙の朝刊に埋もれた文芸作品を見開きで特集をします。『旅の宿“紫音”物語』を国会図書館で見て感動したので紹介したい。広告料は戴きますが掲載しませんか。」 (後日同じ内容でお盆特集にどうかとの誘い、まだ市場に我著本あるのかとアマゾンで検索してびっくり、破格の値段22,500円がついていた。)
またその数日後、倒産した出版社を継承した会社から速達がきて、「『旅の宿“紫音”物語』を文庫本で自費出版してはどうですか。見積もりを同封します。」
時を同じくして誘いがあった。
未だ市場が開かれているのかと寝た子を起されかかったが、連携したかのごとく、倒産劇に巻き込まれた弱者を餌にする商魂(勘ぐりかも)に呆れた。
イワンに倣って、「手にマメを造らないものは食すべからず」である。

本を読んでどんなところか行ってみたくてと、今日食事に来たお客さんが、これも偶然か。

ウエブページ   旅の宿“紫音”物語

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2011年7月 3日 (日)

クーラーの無い宿

Kusakari電気消費量削減、今に始まったことではないので削減代はほとんど無い。
客室や居間にはクーラーを設置していないし、電球は全てを蛍光電球に置き換えてから久しい。
電気はコマめに消し、夜10時を過ぎると大半は真っ暗である。
冷蔵庫や洗濯機はは商売道具である。
四六時中動いているのは浄化槽のモーターくらいだが、下水道が完備していない町だから避けることができない。
太陽光発電は設置して12年余になる。
メーカーの謳い文句ほど発電しているようには思えないが、日中買電と相殺はしてるはずだ。
そうだ、三里峰の開発挫折地に官民共同でメガソーラーを建設すれば町を自然エネルギー化出来るし、安定収入にも寄与するのではないか。

「“紫音”は客室にクーラーが無いんです。空調は自然任せですが、宜しいでしょうか。」
この時期予約の電話があると、まず挨拶代わりに言う。
「以前泊ったことがあるので了解してます。」
「いいですよ。クーラーが嫌いなんで。」
と簡単に了承する人。
或いは、「あなた、クーラーが無いんだって。」と相方に相談する人。
窓を開けて星の明りを枕灯に、虫の声を子守唄に、熟睡できたと言う感想を戴いてる。


雨が多いと草木は良く伸びる。
雑木林を除くと400坪ほどの庭の雑草と戦う必要がある。
更に道路、これは限が無いが、進入口から数百メートル刈ることもある。
以前は柄の長い苅込鋏で作業していた。
回転体が怖いのか、高い道具を避けてたのか、いや家庭用の刈払い機を買ったこともあった。
しかし、太い草には叶わずアルミの柄が折れてしまった。
昨年からエンジン刈払い機を使い、庭と道路で紐とチップソーを使い分けている。
気分屋でスタータが駄々をこねることもあるが、混合油を満タンにして40分程度の作業、今時は防具の中は汗でびっしょりである。

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2011年6月27日 (月)

紫陽花が映える

23ajisai旅の宿“紫音”のアジサイ園。
昨年の今頃もご紹介した。
樹数は更に増え、花の種類も多々で見ごたえがある。
本格的な梅雨でいっきに色づいて来た。


南高梅の収穫は今年は2週遅れで今が最盛期。
春先の微妙な気候が影響したのか。
またこの時期雨が多くすす斑がつくので苦戦しているようだ。
昨年の7割の出荷量と言われている。
頼まれて100キロ近く仲介した。


梅の採取時期に毎年長期滞在する老夫婦が今年もいらしてくれた。
雨が多く梅採り作業に満足に協力できなかったと言っていた。
通算54泊、輪留田さんに次ぐ宿泊記録である。

『本棚で 見つけた唱歌  声に出し
  友人夫婦と 共に偲ぶ』
最終日にはそれらの曲のオカリナの演奏を聞いてもらい、喜んで戴けた。


続くグループは??だった。
『60路 過ぎてつるんで 珍道中
  烏の水浴び 烏の食事』
    
久し振りの再会でお酒が先行したのだろう、2日目は完食していただいた。

そしておまけが
『高野山 キツネに騙され 迷い道
  有田経由で 帰途は暗闇』

予報に反して3日間の晴天、鳥の声での爽やかな目覚めなど、思い出を残して帰ってもらえた。
感謝!感謝! 

2週間フルに接客したのは久し振りである。
7月上旬に予約が入った。
梅採りの常連さん、青梅の最盛期と共に2週間ずれ込んだ。
 

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