2009年8月 7日 (金)

夏本番か、晩夏か

Kinoko8月3日に梅雨明け。
例年より遅いが、今から夏が来るのかなという天候が続いている。
5日には南方の台風8号の影響でぐずついた。
戻ってきた夏空に、下から上がってくる人が「ここは涼しい」と。

先日、梅雨明け間近の朝の散歩で奇妙なキノコを2つ見つけた。
円形の白い傘で、径と高さが50センチほどと異常にでかい。
茎が1センチほどと細いので、夕立の後見に行ったら、雨の重さでひしゃげていた。
自然観察の本で調べたが名前は分からなかった。
農家の人に聞いたら、「わし等“くそ茸”と呼んでるやつだ」と。

本といえば、拙書『旅の宿“紫音”物語』がアマゾンに数冊残っていた。
出版社倒産のあと,細々と存在しているのをみて嬉しくなった。

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2009年4月 7日 (火)

42年目の春

Dokkinkai会社に入社した時の配属先事業所の同期会の案内があった。
宿商売は土日が書き入れ時なので、この手の会は高校の同期会に1回参加しただけである。
今回も休めないので失礼した。

開催翌日出席者が早速メールで写真を送ってきてくれ、懐かしい顔がそこにあった。
たが、参加者17名の中に名前どころか顔も思い出せない人が数人いた。
名簿と照らし合わせて確認したのは言うまでもない。
入社後41年、それも工場実習の3ケ月だけ一緒だった人も多数おり無理もない。

これまで何人かの人が宿の開業を聞きつけて泊りに来てくれた。
当然仲間の消息が話題になる。
定年後経営に携わっている人もぼちぼち退職を迎える時機になり、旅の宿“紫音”を拠点に夫婦で熊野詣をする機会もあるのではと期待する次第である。

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2009年1月17日 (土)

未練がましいかな

Kansetu暖冬かと思っていたら凍てつく冬がやってきた。
(写真は先週末の降雪である。)
昨年も同じようなことを言っていた気がするが、本当の冬は今からなのだろう。
でも、梅の蕾はどんどん膨らんでいる。
今年の開花は早いかもしれない。

拙著『旅の宿“紫宿”物語』を出版し、出版社が倒産、絶版になって1年経った。
先日、ご老人から欲しいと言われなけなしの在庫をお渡しした。また、ある人から突然本が欲しいと電話があり,コピーして差し上げた。かって購入した人が現在仲間に回覧中という話も伝わってきた。
そんな中、引受会社から割安で再出版しないかと誘いがあった。
読んでからにしてくれと言ったら,しばらくして丁寧な書評をくれたが、今更大金をはたく訳にもいかず、話はそこまで。

  『摘み取られ 葉か花なのか蕗の薹 我が処女作は幻と化す』
とまた書いてしまった。

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2007年11月19日 (月)

『旅の宿“紫音”物語』が完成

Hakkan 文庫本『旅の宿“紫音”物語』が完成しました。

ブログで掲示したものを本にしようと計画してから約2年、自費出版の諸問題を克服しながら発刊に至りました。
お陰様で手持ち分は全てお客様に渡り、追加手配中です。


書店では12月中旬発刊予定です。
         本のタイトル:『旅の宿“紫音”物語』
         発 行 所 :新風舎
         定   価   :683円(税込)
新風舎取り扱いの本屋さんやインターネットで購入できます。

事前購入をご希望の方、発刊後書店で入手できない方はホームページのメール欄からお問い合わせください。

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2007年11月 2日 (金)

本になります

Bunkobon 『旅の宿“紫音”物語』が本になります。
脱サラ後、紀伊半島の山奥での、孤軍奮闘、否お客さんに助けられながらの素人宿経営10年のドキュメンタリーエッセイです。
4コマ漫画を挿絵に、手軽にお読みいただけるように文庫本にしました。

              12月中旬発刊予定。
                  本のタイトル:『旅の宿“紫音”物語』
                  発 行 所 :新風舎
                  定   価   :650円+税
新風舎取り扱いの本屋さんやインターネットで購入できます。
予約購入をご希望の方は旅の宿“紫音”ホームページのメールでご連絡ください。

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2006年3月23日 (木)

(第十九話) 大きくなるということ

(続/浩然の気を養う) 
sizennotikara 子供はどんどん成長する、だが人間的に大きくなるとはどういうことだろうか。一般に体と精神構造は同じ速度で成長はしない。このアンバランスにどう立ち向かうかが本当の意味の成長なのだと思う。大きく見せたいという気持が強すぎると、化粧やファッションに、或いはお酒、タバコ、暴走族にと大人社会の表層に飛びついてしまう。真似事で済むのか虜(とりこ)になってしまうのか、いずれにしろそういう時期を乗り越えられる子供達は善悪の判断がきちんとできるということであり、社会的に悪いことをしでかす子供達は精神的に未熟なのだということは事実である。近年の犯罪の傾向をみても、大人になりきれない人が一見残忍だが動機は幼稚な事件を犯すケースが増えている。
甲子園球児やサッカーのスポーツ選手に不祥事が目立つのも、精神的成長のアンバランスが起因する。強くなることが優先され社会人としての教育がないがしろにされるからだ。その裏には親の欲目があり、英才教育の低年齢化がそれを助長する傾向にある。インターネット社会もそうだ。IT技術を持てば起業人としてひとり立ちできるような錯覚を与えている。ゲーム世界の延長で基礎教育もそこそこに投資家として儲けに走った人達で日本の経済社会が成り立つはずが無い。日本の企業を支えたのは、長期雇用契約に基づく継続的な社員教育が企業運営の根底にあったのを忘れてはならない。
幸いに清川小学校には子供達の社会性を重んじた教育が垣間見れる。カリキュラムのノルマを詰め込むのではなく子供達の理解度を検証しているようだし、テキストの外(そと)の活動も重視している。わが子も小学校の6年間清川の子として育ち卒業を迎えることになったが、その間に個人的にストレスを感じた時期があったし、学校のやり方に危機感を感じた時期もあった。ご父兄や先生方の一早い対応や努力で改善され、気持ちよく卒業できることになったのはありがたい。感謝!! 
“地図と絵画のコンクール”に6年生19名が力を合わせて作ったマップが特選になった。降って湧いた話ではなく、積み重ねの成果である。その自信が卒業文集を自分達の手で作ろうと言う気持にもつながったのだろう。そんなこといやだ、苦しい、でもやった、すごい、やればできる、と、一人だけでは決して得られない成果がホワーッとした気持として残る、そこに子供達が伸び伸び成長する、即ち、心が大きくなる糧(かて)があるような気がする。先日の雪の舞う中で開催された清川の駅伝大会に校内マラソン大会でブービーだった娘が選手に選ばれ参加した。葛藤はあったようだが挑戦しようという気持が勝(まさ)り走る気になったようだ。レースでは最後尾を走っていたが、「パパ、今日は速く走れたよ。お腹も痛くならなかったよ。」 と爽やかだった。
子供達が大きくなる、その責任は言うまでもなく親と子供達を取り巻く社会にある。いまその社会に使い捨て、無駄遣い、見栄、孤立化など都会の十数年遅れの現象が現れている。南部川村は合併して大きくなって町になった。しかし目の前の人参に飛びついたようなもので一年経っても将来を見越した政策が見えてこない。一般にこの手の足し算は表面的なボリュームは増やすが内容的な質は平均化され、総じて良い面は失われていく。都会化である。事件の多い、物余り貧乏の今日の社会を作り上げたのは高度成長期に浮かれていた我々親達である。その反動がいま現れていることを噛み締めて、子供達には地道にそして助け合って地域の特色を生かした生活をすることを教えて行きたいものである。島国日本の将来の生き方の原点がここ清川にあるような気がする。『櫃(ひつ)を買って珠(たま)を還す』ことがないように、また『山高きが故に貴(たっと)からず』である。

                                 <清川小学校雑木林原稿>

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